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上野駅には各方面から多くの優等列車が乗り入れており、様々な車掌区の車掌の姿があり
ましたね。青函トンネル開業後は、札幌や函館の車掌さんを上野駅で見られるのかとも思い
ましたが、それはさすがになかったですね。現在でもJR西日本の制服を見る事ができます
が、北陸新幹線開業まででしょうね。
「あいづ」の末期は会津若松が全区間担当していましたが、この時期は上野だけではなか
ったですか?磐越西線経由の急行「いいで」(上野−新潟)も上野の担当でした。
調査時期にもよりますが、「雷鳥」には京都車掌区、敦賀車掌区や明石車掌区も乗務して
いました。「しらさぎ」には米原や富山なども乗務していました。
以前、明石車掌区が「しなの」「比叡」に乗務していたということを紹介しましたが、同
区は昭和48年に神戸車掌区を発展的解消して出来ました。優等列車は大阪車掌区へ移管さ
れましたが、一部は歴史的背景もあり残っています。現在では、「スーパーはくと」の大半
に乗務しています。そのDNAは引き継がれ、下関乗務員センター同様、車内放送でも車掌
の氏名・所属名まで明らかにし、誇りをもって乗務されています。
駅には等級がありますが、国鉄時代は車掌区にも暗黙の了解で格付けがあったようです。
全国車掌区会議の席次などで東京、下関は常に上座だったと言われています。車掌区長の資
格を見るとおおよその見当がつきます。昭和初期の車掌区で、区長が副参事だったのは、東
京、新宿、上野、千葉、名古屋、神戸、湊町、下関となっています。後に、札幌、博多あた
りが加わり、神戸は大阪、湊町は天王寺へと変化していったのではないでしょうか?
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