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Kさん

 投稿者:コー麻呂  投稿日:2008年 8月29日(金)14時25分35秒
  そうそうのお見舞いありがとうございます。

昨夜安城の雨はそんなにひどくはありませんでしたが雷がよく鳴りました。
なかでも一発爆弾が落ちたかと思うほどものすごい衝撃で停電しました。
よほど近くに落ちたんでしょうね。
停電はブレーカーが働いただけでしたので助かりました。

テレビ報道によりますと岡崎は400戸以上床上浸水したようです。
降りだすとむちゃくちゃ降るのも温暖化の影響でしょうか、怖いですね。
 

大変な豪雨

 投稿者:Kさん  投稿日:2008年 8月29日(金)07時24分0秒
  テレビによると岡崎周辺は大変な豪雨だったようですね。被害は出ませんでしたでしょうか。

http://www.eonet.ne.jp/~kishimoto-sketch/

 

岡崎出身者様

 投稿者:コー麻呂  投稿日:2008年 8月22日(金)22時08分36秒
  今朝からこの夏1番の涼しい日になりました。午後から市内でスケッチをしましたが、日影でTシャツ1枚は寒いくらいでした。このまま夏が終わるわけではないでしょうが、ほんの2〜3日前までの汗だく生活はなんなんだと思ってしまいます。

先月下旬に羽根町を通りましたが大通りの東側は本当に残り少なくなりましたね。黒屋末廣さんは頑張って見えると聞いたことがありましたが、噂どおりあの辺り2〜3軒だけだったと思います。北側はあまり変わっていませんでしたがいよいよですか。

私の実家も商店でした。今は別の家が建っていますが目を閉じますと親父や兄貴が店先で仕事をしているところがはっきり浮かんできます。実物を見なくてもスケッチできそうです。結婚して20年住んだ家が隣の町内に今もありますが、前を通ってもあまり感慨が湧きません。夢に見るのも実家ばかりです。何故でしょうね。

年をとったから近くを描こうと決め、10年前西尾と安城から始めた街並スケッチですが、近くを描きつくしてだんだん遠くに足を延ばす必要に迫られてきました。明日明後日は雨の予報です、旧東海道の藤川と本宿でも歩いてこようと思っています。
 

明日から岡崎です。

 投稿者:岡崎出身者  投稿日:2008年 8月22日(金)13時38分26秒
  残暑お見舞い申し上げます。コー麻呂様。

いま、今夜の勤務(夜間当直)の準備しながら当掲示板に書込みしています。
そして、明日の夜勤明け(非番)にお昼前の新幹線で帰省(帰郷)します。
新居になってから、初めての岡崎への帰省になり、遅れながらのお盆休暇になります。
仕事上(交代制勤務)なため不規則な休暇は仕方ないんですけどね。
30日の夜には、東京に戻ってきます。一週間の休暇意をとりました。
今迄は岡崎駅自由通路の東口の出口階段でしたが、今度は西口階段が実家方面になります。

次に昨夜、母から通勤の帰路時に携帯に連絡がありました(電車内でしたので留守録)
電話の内容は、明日(今日22日)遂に大家さんに旧家の鍵を渡すとのことでした。
実家は商売(会社)していて後片付け、残務整理が進行していなかったこともあります。
ある程度、目処経ち、今日の午前中に大家さんに鍵を返し旧家を引渡すことになりました。

私は社会人(就職)になるまで、20ン年間この旧家から衣食住を両親、兄弟としてきました。
就職後、転勤を重ねお盆、年末年始休暇で帰省する度に何らか思い出の詰まった家でした。
時期は未定ですが、あとは重機等で壊され、更地になる旧家です。(多分?来年早々?)
ただ、ひたすら旧家跡、付近には魅力ある街並みが形成されることを望むだけです。

最後に、これからは西口の家で思い出を家族で築きあげていきたいと思っています。
 

gayohshi様

 投稿者:コー麻呂  投稿日:2008年 8月19日(火)10時27分21秒
  gayohshiさんの言われるはしりがきの作品ですが、本当にうらやましいです。私もときどきためしてみますが2度と見たくない出来栄えです。結局10分で描いたのではなく、何十年と10分かかった作品と言うことでしょうね。それにしてもうらやましい。  

「安城の中心街」

 投稿者:gayohshi  投稿日:2008年 8月18日(月)21時58分46秒
  新聞の天気予報を見ていますと、東日本より西日本のほうが暑いのは明らかなようです。今日はそれほどでもありませんが昨日の東京は涼しいといった表現がぴったりの一日でした。
お届けいただいた「安城の中心街」は力作ですね。コー麻呂さんのHPの「スケッチ日記」に掲載された絵を拝見すると店舗のショーウィンドウの中に陳列された商品まで細かく描かれていて、それが商店街らしい雰囲気が伝わってきます。はしょっちゃ駄目だということを教えられます。
駒ヶ根での一枚を置いて参ります。白い土蔵があたり一面の緑を切り取ったように見えたのをPOST CARDサイズで表現できればと思ったのですがちょっと無理があったようです。

http://www.h7.dion.ne.jp/~t-t.skt

 

Kさん

 投稿者:コー麻呂  投稿日:2008年 8月18日(月)09時03分7秒
  本当に近場はありがたいですが、市内はじめ近い所は描き尽しつつありまして少々困惑ぎみです。早くも来年の夏は何処を描こうか悩んでいるところです。  

安城市

 投稿者:Kさん  投稿日:2008年 8月17日(日)22時02分26秒
  お盆の間の安城市シリーズは力作ですね。日記に書かれておられるように、近場はいいですね。日陰になる時間帯を選んで出かけることのできますしね。
この絵は13日に描いた、自宅から自転車で5分の場所です。「スケッチに行く」などという意気込みのなく、サンダル履きで気楽に描けますね。

http://www.eonet.ne.jp/~kishimoto-sketch/

 

直人様

 投稿者:コー麻呂  投稿日:2008年 8月 8日(金)11時20分19秒
  終戦のとき私は小2でした。実家の西尾では空襲の心配はあまりしてなかったようで、その日も2階で寝ておりましたが、夜中に母に起こされてわけもわからないまま真っ暗な田んぼのほうに避難しました。夜空、東のほうだけ真っ赤でした。無数の落下する焼夷弾がまるで花火のように美しかったことを覚えています。その下が地獄だったとはつゆ知らずに。それが岡崎空襲の思い出です。

兵隊には4人の叔父が出征しましたが、4人とも無事帰還しました。東京に叔父一家が住んでいましたが、結局戦争では我が家と、近い身内の誰も亡くなった人がいませんでした。戦争の本当の悲惨な体験をしないですんだ幸運な一家だったと感謝しています。

直人さんのちょっと涼しくなる話のようなことは体験したことがあるのか無いのか急には思い出せませんが、ありうることだと思います。私は今でも父や母にたまには枕辺に立ってよと頼んでいますが、時々夢を見るくらいで願いは叶いませんです。

東京と愛知の大地震の予言は我が家でも話題になっています。東京は8月6日でしたから空振りでしたね。愛知もそうなってほしいと思っています。
普段は家でごろごろしていますがスケッチのときばかりは元気です。

書き込みありがとうございました。暑さの折どうぞご自愛下さい。
 

ちょっと涼しくなる(?)話

 投稿者:直人  投稿日:2008年 8月 8日(金)00時54分29秒
  毎日暑いですね。お元気ですか?

この間、久々に帰省して、駅前で中学校のときの友人数名と飲みました。その時にあったことで、以前、自分のブログに書いた話で、ちょっと聞いていただきたい話があります。信じてもらえるでしょうか?自分でもちょっと信じられないのですけれども…。

本題に入る前に、事の始まりから…。
わが実家は家康の生誕地として有名な岡崎市です。その岡崎を震源地として9月13日に東海大地震が起こるという予言がでまわってるそうで、ボクはそれは妹から聞いたのです。なんでも、その予言者は先日の岩手地震をズバリあてたんだそうで、7月だか8月には東京でデカイのがあるそうです(東京近辺の方々、ご注意くださいませ)。てなことを同級生と話していたら「では地震が来る前に飲もう」という話になり、で、連休中日の昨日岡崎に行ったのです。

ここから本題。で、早めについたので、集合場所からほど近いところにあるウチの墓にお墓参りに行ったのです。墓碑を見て気付いたのですけど、ブーゲンビル島で戦死した祖父の命日は7月21日、つまり今日だったのです。へ〜、偶然だな、なんてその時思いました。
飲み会が終わって、ウチでお茶飲んでたら、ふとハガキが目に留まりました。宛名は27年前に亡くなった祖母あて。読むと、21日の午前10時から龍城神社(=岡崎城のすぐ隣の神社)で祖父の命日に合わせて法要(というのかな?)があるとの知らせでした。
ボクはよく知らなかったのですけど、その神社では戦没者のための供養を命日のある月に行っているようで、それを偶然知ったわけです。今日は何も用事がなかったし、なんかこれは行かなければいけないような気がして、行ってきました。
お城は何度も行ったことがあるので大体の位置は分かっていましたが、神社がどこにあるのかよくわからず、とりあえず車で向かいました。なんだかとても狭い道に入り込み、何台か別の車が停めてあるのですが、だんだん狭くなる様子。私は普段カルディナに乗っているのですけど、今回はなぜか軽自動車で行ったのですが、ちょうどそれが停められるスペースが1台分だけあり、とりあえず後は徒歩で神社を探すことにしました。細い道をさらに少しだけいくとすぐ神社でした。その先にはちょっとした駐車スペースがあったのですけど、袋小路で満車状態。もしそのまま車で来ていたら、戻るに戻れなくなっていたはずで、結果的にまるで誰かに導かれるようにベストの位置に駐車できたわけです。
お参りには僕の他は60才ぐらいのおばさんが3人。おそらく親の代が戦争に取られた世代なのでしょう、たぶん。
なんとなく、祖母に呼ばれて代参してきたような気がしてなりません。
あ、そうそう。去年の7月18日のブログに、ふと祖父のことを思い出し、水木しげるの「全員玉砕せよ!」という南方での話が映画化されないかなぁ、なんて書きましたけど、実際に8月にTVでドラマ化されたんですよね。7月18日も命日に近かったわけで、なんだか偶然とは思えなくなってきました。

64年前に祖父はなくなったわけです。でも本当のこと言えば、本当の命日は誰もわからなかったはず。遺体が戻ってきたわけでもないから、お墓には祖父の遺骨は入ってない、と死んだ母から聞きました。でも、今回、因縁というかつながりみたいなものを感じずにはいられないのでした。
 

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